2025/1/18 ほしよみ堂 新宿店がオープン
<創始者挨拶より>
かつて東京には、渋谷ほしよみ堂がありました。
2011年に誕生し、2015年に原宿本店への移転と共に閉店。
それからはフランチャイズ展開によって全国10店舗を誇りますが
2025年1月、直営として新宿に店舗を開くことになりました。
東京最大の繁華街として知られる新宿は、
ギネスブックに「世界一の乗降客数(1日に350万人以上)の駅」と記録されています。
新宿駅ができた1885年、
フルーツパーラーとして有名なタカノが、
繭仲買と古道具を本業にして果実を副業とする高野商店として開業しています。
ちなみに新宿御苑は江戸時代に高遠3万石の大名・内藤家の屋敷でしたが、
72年に植物試験場として再出発し、
87年にはマスクメロンの栽培が成功。
このマスクメロンの販売を、タカノが1920(大正9)年に開始しています。
繁華街として発展していた新宿は、
第二次世界大戦により瓦礫の街となり、
残ったのは駅と伊勢丹の他に数える程度のビルのみ。
そんな焼け跡から新宿は、大きな復興を遂げていきます。
1945(昭和20)年の玉音放送によって降伏が公表された8月15日のわずか5日後、
「光は新宿より」というキャッチフレーズで日本初の闇市が新宿東口に乱立します。
なんとその2年後には、
伊勢丹の前にあった帝都座で日本初のストリップショーが始まり、
新宿2丁目にあった遊郭街が、
60年代半ばから日本を代表するゲイの街となりました。
人間が持つ欲望の闇に忠実な街として、新宿は発展したわけです。
新宿コマ劇場や、ムーランルージュ新宿座など、
エンタメの街として歌舞伎町の基盤が築かれ、
西武新宿駅の開業によって発展していきます。
しかし57年の売春防止法施行により、
風俗営業の業者が歌舞伎町に流れ、
危ない街というイメージが定着。
とはいえ、地元商店街の努力によって、
世界的な旅行ガイドブック『ロンリープラネット』で
「東京で最もヤバい歓楽街だが、驚くべきことに夜歩いても安全で、
夜がことさら面白い」と紹介されました。
ぼくにとって新宿は、
なんといってもジャズ喫茶のイメージです。
高校2年のときジャズに狂ってしまい、
年4回ほど名古屋から新宿へジャズを求めて通いました。
新宿の街をうろつく田舎の無垢な少年だったぼくは、
ロールキャベツで有名な『アカシア』や、
レトロな純喫茶『珈琲西武』をはじめ、
当時開店したばかりの『但馬屋珈琲店』、
大正時代からあるトンカツの名店『王ろじ』、
裏通りのカレー屋『カンジー』などで腹を満たしていました。
23歳で経営者となり、
そのあとは毎月2度の新宿詣でが5年続き、
晴れて28歳で東京に住むこととなり、
最初は小田急線の千歳船橋と祖師ヶ谷大蔵の中間に居を構えました。
ほぼ毎日のように新宿へ通い、
かつて新宿駅前に存在した『談話室滝沢』で作戦会議をしたり、
定期的に個室を借りてセミナーを開いて生計を立てました。
いまでも新宿に行くたびに、
あのころの若き苦い思い出が走馬灯のように想起されます。
さて、そんな新宿に我が愛しの『ほしよみ堂』が誕生したわけですが、
場所は思い出深きスタジオペンタの裏(というか表)で、明治通り沿いのビル。
じつは今、ぼくは同じ明治通り沿いの神宮前のマンションに住んでおり、
家からほぼ真北に位置するわけです。
さらに奇遇なんですが、新宿店と現在の住居を結ぶ先が、
かつてあった渋谷店になるのです。これ、まさにレイライン!ですよね。
いつもながら風水師であるぼくは、
なにかとこじつけたがるタチなのでご勘弁ください。
わずか3坪半の小さな空間で、
エレベータのドアが6階で開くと踊り場もなく、
いきなり目前に現れる怪しげな占い館ほしよみ堂新宿店。
圧倒的なイロモノ感を出すために、あえて100万円以上の内装費をかけました。
音楽もモダンジャズを流しています。
癖のある占い師を取り揃えておりますゆえ、
どうぞ新宿のラビリンスに迷いこんで非日常を味わってください!